借金総額約500万円。家族に内緒で自己破産しました。
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山村での学校生活。
2006年08月13日 (日) | 編集 |
蜜柑はずっと、幼いころからずっと、どっちかというとおとなしい女の子でした。
控えめで、外で遊ぶより家の中で本を見て遊ぶタイプ。
母親がシャキシャキしていて、口も体もよく動くタイプで、
だから蜜柑が何もしなくてもいつも何もかも整っていた。

両親が離婚してから、蜜柑は人前では泣かなくなった。
もともとあまり泣き虫ではないらしい。
でも『お母さん・お父さんがいないから可哀想』とか言われても特に何とも思わなかった。
多分・・・思わないようにしてたんだと思う。
母親の前でも『どうして離婚したの?』とか一切口にしなかった。
寂しいとか辛いとかいう素振りはまったく見せずに、
いつも明るいふりして笑ってた。
それを口にすることで母を傷つけるような気がしてたんだと思う。

小学校は楽しかったけど、小学校にはいろいろな行事がある。
運動会。
みんなはお母さんが作ったお弁当を嬉しそうに食べる。
お父さん・お母さん・おじいちゃん・おばあちゃんも一緒。

蜜柑は多分、祖父母と3人だったんだと思う。
でも記憶がない。
運動会の競技や練習の記憶はあるのに、当日のお弁当の時の記憶がない。
どう思い出そうとしても、全く祖父母の顔すら出てこない。
4・5・6年と3回運動会をしたはずなんだけどな・・・。

山村にある小学校のため、修学旅行は2年に1回行われる。
蜜柑たちの時は小6の時、長崎に2泊3日で出かけた。
村内にあるほかの小学校4校と合同での旅行になる。

みんなは旅行用にと新しい服を買ってもらっていた。
蜜柑は・・・手持ちの服の中から唯一のお出かけ着を引っ張りだした。
少しサイズは小さくなってキツキツだけど、着れなくはない。

だって、近くに服を売ってるようなお店もないし、
バスに乗って買いに行くにしても1時間以上もかかるので遠すぎる。
父親がほぼいつも不在の状態では買いに行くこともできないし、
またそれを言えるような蜜柑でもなかった。

旅行の準備の時、父親に買ってもらったもので覚えているものは・・・下着だった。
父親とはいえ、女の子の下着を一人で買うことに抵抗はなかったのだろうか。
今でこそそう思えるけど、当時はすご~く嫌だったのを覚えている。
しかもそれまで子供用のオヘソの上あたりまであるような下着をつけていたのに、父親の買ってきた下着はオヘソの下までしかない、大人風の下着だった(ちなみに5枚組かなんかだった)。

他にも女子だけ用意しなくてはいけないもの、生理用品があった。
まだ生理が始まっていない子でも、小学校高学年で始まる子もいるので用意だけは必要。
学校で保健の先生から女子だけに話があった・・・すごく困った。

生理用品のことなんて誰に言えばいいの??
と、いつまでも用意が出来ないでいる蜜柑でしたが、やはり事情を察して保健の先生が蜜柑のものを用意してくれた。
本当に助かった。

田舎での生活は辛いことが多かった。
でもそれと同時に、他人から親切にされることを知った時でもありました。

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